2007年8月15日水曜日

シニアネット 『おいおい』 第606号 巻頭

━━ senior citizen net ━━━━━━━━━ 2007/08/15━━

     シニアネット 『おいおい』        第606号
 
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 清盛も三成も来よ盆供養               高野 素十

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 戦国時代の武将の平清盛と石田三成を挙げた。天下分け目の戦をしながら、破れた。いずれも、全盛期には滅びることはないと信じられていた歴史上の人物。清盛は、「奢れる平家は久しからず。」と言われた。秀吉が築城したな難攻不落の大阪城も家康の奸策に嵌まり落城した。「清盛も三成も来よ」とは悲劇の漂う歴史上の人物への同情と親しみを込めて、「盆供養」をする。
 「盆供養」とは、精霊棚に膳や初物の野菜、果物、菓子などを供えて供養をする。茨城県取手市生まれ。(1893-1976)。

┏━━ 八月十五日 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━
*62年前ポツダム宣言を受諾した。太平洋戦争は終結した。310万人の犠牲者を出したことへの反省として平和への希求を新たにする日。終戦の日でなく、敗戦の日(敗戦忌)がふさわしい。第2次世界大戦でなく「太平洋戦争」が適当である。また、国際法上戦争が終結したのは、ミズリー号の調印の9月2日である。
 *正しくは「盂蘭盆会」。略して盆である。地方により風習が違うが、13日に祖先の精霊を迎えて、16日の夕方送り火をする。16日には仏に供えた供え物を真菰の筵に包んで近くの川に流す。農家では、盆の3日仕事を休み「盆休み」と言う。盆の3日を休む習慣になった。

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シニアネット 『おいおい』     第605号

━━ senior citizen net ━━━━━━ 2007/08/12━


     シニアネット 『おいおい』   第605号
 
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 迎火やあかあかともる家のうち      久保田 万太郎

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 昭和11年(1936)作。前書きに、「昭和11年7月。ことしわが家のは新盆なり」とある。前年、妻京を失ってしまった。死者の霊魂を導くために,13日に門火といって門前で芋殻を焚く。「あかあかともる家のうち」になり、家の中の電灯を一層明るく感じる。迎え火が目立たないようで、心細い。中七は,初案では「あかるくともる」であった。さらに明るく感じられる「あかあかともる」に訂正された。東京都生まれ。(1889-1963)。


 

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シニアネット 『おいおい』   第604号

━━ senior citizen net ━━━━━━━━ 2007/08/11━

     シニアネット 『おいおい』   第604号
 
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一本の鶏頭燃えて戦終る        加藤 楸邨

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 昭和20年(40歳)の作。「一本の鶏頭」は生き残ったものの集約された姿である。戦火で焼き尽くされた焦土に、生き残った1本の鶏頭が赤々と「燃えて」いる。8月15日の正午、玉音放送があった。正式に戦争が終わったのは『9月2日』であるが、全国民は戦争が「終る」と思った。無音の世界である。静寂感すら漂う。再出発への意気込みが感じられる。こうした感情が、多数の国民の感想であったのだろう。
 山梨県大月町へ出生届。国鉄駅長の父の任地。(1905-1993)。

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シニアネット 『おいおい』   第603号

━━ senior citizen net ━━━━━━━ 2007/08/08━━

     シニアネット 『おいおい』     第603号
 
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 山下りて朝顔涼し京の町          山口 青邨

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 大正12年(31歳)の作。自註によると、「1週間ばかり比叡山の山房に起居、まだケーブルカーのない時だ。1日山を下りた。朝早く八瀬、白河を通った。それから京都の街に入った。」 31歳の若者が、1週間の山籠りをして、1日だけ賑やかな京都の町で過ごした。美味しいものも食べた。本もどっさり買った。人にあった。「山下りて朝顔涼し」が、若者らしい新鮮な表現である。
 古河鉱業から農務省の鉱山技術師になり、大正10年より東大工学部の助教授に奉職した。山歩きには慣れていたのだろうが、比叡山の聖域での1週間の山籠りからの解放である。岩手県盛岡市生まれ。(1892-1988 96歳)

┏━━ 八月八日 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━
*2008年の八月八日は、北京オリンピック開会式。ヒマラヤを駆け抜ける聖火をはじめとしてイベントが目白押しだ。世界から中国が評価される。中国人は、8の数字が好きだある。来年は、8が3つ重なる日となる。
 *暑さのまつ盛りで、1年中で一番厚い季節である。しかし、暦の上では「立秋」で、そこはかとなく秋を感じさせる気候になる。

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シニアネット 『おいおい』 第602号

━━ senior citizen net ━━━━━━━━ 2007/08/05━━

     シニアネット 『おいおい』      第602号
 
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 露涼し形あるもの皆生ける       村上 鬼城

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 うだるような暑さ。真夏の太陽は燦燦と照りつける。草の葉が朝露に濡れています。その輝く夏の露が反射して、眼に見えるあらゆる「形あるもの」の生命を感じとる。生命あるものを「皆生ける」と感動する。生命の躍動の賛歌であるが、どことなく人生的な「哀れ」を感じさせるところが、作者の俳句の身上である。
「作風は2つの特徴がある。1つは「骨格の太さ」である。とく格調の高さとも通うもので、堂々とした風格ある作品が多い。これは武士の家に生まれた誇りと無縁ではないだろう。」(『現代俳句大事典』より)。鳥取藩上屋敷に生まれる。(1865-1938)。

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シニアネット 『おいおい』 第601号

━━ senior citizen net ━━━━━━ 2007/08/02━━

     シニアネット 『おいおい』    第601号
 
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 がてんゆく暑さとなりぬきゅうりもみ   久保田万太郎

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 昭和36年作。最初は「三越落語会百回をむかふ」と前書きして、「うけとるる暑さとなりぬきゅうりもみ」だった。落語を聴く客に振って「うけ」が取れるほどの暑さである。落語から離れて、「がてんゆく」になる。つまり、酷暑が本物の暑さであることになった。
こうした暑さの中では、酒の肴は「胡瓜もみ」がさっぱりとしてうまい。「胡瓜もみ」は涼味があり食欲をそそる栄養補給にもなる。酢の物の代表である。万太郎の酒の肴はまず、「冷奴」だった。冷奴をつつくうちに次の肴を待つ。
作風は『市井人の心、平明な表現が共感を得る。』(『現代俳句大事典』より)東京都生まれ。(1889-1963)

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2007年8月3日金曜日

シニアネット 『おいおい』  第600号 巻頭

━━ senior citizen net ━━━━━ 2007/08/01━

  シニアネット 『おいおい』   第600号
 
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 独り身のひとり暮らしの豆ごはん   (日経新聞・黒田杏子選)
 ロンドンの旅のアルバム漱石忌    (堺市ホームタウン紙)
水鳥の厳しく鳴きて日暮るる      (NHK友の会・大串章選)
骨壷をたたきて春を伝えける      (NHK俳句友の会互選)
ふるさとへひとり旅立つ春の雨     (堺市ホームタウン紙)
 学僧のいそぐぞうりに春の雨     (毎日αあるふぁ誌)
 野良子猫可愛い順に並びくる     (NHK俳句友の会互選)
春昼のリビング珈琲の香り満つ     (朝日新聞南大阪通信)
初燕野のはてる軒にもどりくる     (毎日αあるふぁ誌)
夏来る港へカレー食べに行く       (堺市ホームタウン紙)
 昼蛍余命惜しみて祈りけり       (堺市ホームタウン紙)
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 今年前半期に、活字になった愚作の俳句を掲載しました。俳句は、こうした披露のしかたは、ルール違反です。第600号の記念紙なので、愛読者の寛大なお許しを得られると思い列挙しました。
 5大紙とかNHK俳壇には、遠く及びません。活字になることを夢見てせっせと投稿をします。愛読者の皆様,お許しください。NHKの通信教育を1年やつたのが、実践経験です。たまたま、初めて投稿した俳句が、日本経済新聞に掲載されましたが、以後は難しい。最近は,投稿をさぼっています。

┏━━ 第六百号 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━
       ◎第600号を通過する◎
 小紙が、600号を通過した。創刊2001年7月23日。100号2003年5月26日(22ヶ月)。200号2004年8月31日(14ヶ月)。300号2005年6月30日(10ヶ月)。400号2006年4月28日(10ヶ月)。500号2006年11月28日(7ヶ月)。600号は8ヶ月。
最近は、「新聞社説をおちょくる」を編集方針として来た。編集時間を掛けない「怠慢」のためだ。現実生活からはなれて、日常生活の幅が狭くなった。「体感する」ことが減ってきた結果でもある。「体感」から「考える」への変換でもある。
今回の参議院選挙で、保守と革新が逆転した。小沢民主党は、古い自民党の戦略を復活させた。小泉は自民党をぶっ潰して「変革」を実行した。そのフォローを安倍自民党はしなかった。1人区で6勝23敗という考えられない惨敗した。つまり、保守と革新の立場が逆転したのである。都市部と地方が逆転した。小沢代表の戦略は、毛沢東の革命論を下敷きにした革命思想である。注視したい。こうした政治事情にある中で、益々、「時事問題」に対する正しい視点を持たねばならない時代になった。
  先日も同窓会の席上で、「シニアから見た政治談議」をしでかした。しまったと思ったが気つくのが遅れた。年齢のせいだろうが、反応が遅くなるのも年のためか。隠居の「時事問題解説紙」に終始終するだろう。
 6に関する解説。6は完全数であり調和数である。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/6

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シニアネット 『おいおい』 第599号 巻頭

━━ senior citizen net ━━━━ 2007/07/30━

     シニアネット 『おいおい』 第599号
 
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川越せば川の匂ひやどぜう鍋     村山 古郷

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 今日は土用の丑の日。「うの字のつくものを食べる。」瓜、うどん、梅漬など。泥鰌は江戸時代には鰻と並び精がつく食べ物として愛好されていた。栄養価が高い。ビタミンDや良質な蛋白質を多く含む。特に、カルシュウムが多い。鰻の安全が問題になっているので、泥鰌を取り上げた。強壮剤としては、両者譲らない。
 「川越せば川の匂いや」が風情がある。鰻の代わりに、泥鰌鍋でも食べましょうか。「どぜう鍋」は柳川鍋ともいう。牛蒡に良くなじんで、いかにも暑気払いを感じる泥鰌鍋である。京都市生まれ。(1909-1986)。

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シニアネット 『おいおい』  第598号 巻頭

━━ senior citizen ━━━━━━━━ 2007/07/28━

     シニアネット 『おいおい』   第598号
 
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 裸子をひとり得しのみ礼拝す      石橋 秀野

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 昭和22年の死の2ヶ月前の作。戦争中に肺結核の病を得た。当時は不治の病だった。傍らに眠る幼子を残して死に行く母親の愛惜の句である。38歳の若さで死去した。自らの分身の娘に何もしてやれない。いまはただ礼拝(らいはい)するのみ。「らいはい」は仏教用語。キリスト教では、「れいはい」と言う。ここでは「らいはい」とカナが振られている。母親の必死に「仏へすがる」姿が伺える。大乗の姿である。
幼児を抱えての自宅療養も不可能となり、療養所へ入院する。「蝉時雨児は担送車に追ひつけず」が辞世の句になった。メモ用紙に青鉛筆で走り書かれていた。石野秀野は山本健吉の妻で、奈良県生まれ。(1909年―1947年)。
 
┏━━ Start ━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  ◎DELL流のSCMのすばらしさを体感しました◎
 パッケージ製品を受注するSCMである。顧客は、細心の注意を払い、注文書をつくる。自作のパソコンを作るように楽しみながら作業をする。何度も何度もチェックする。納得してから注文をする。Dell Site では専門のセールスが対応してくれる。発注書を共同で作ってくれる。15日(日)にその楽しい作業をして注文した。16日(祭)に現金を振り込む。17日に振り込み確認。私のオーダー番号を入力すれば、私のパソコンの情報が出て来る。18日に生産開始して、その日のうちに生産完了。その日のうちに船会社の倉庫へ倉入。21日に船は出ました。日本海は荒れてないので予定通りに着きました。最初、天候により遅れることがあるいう情報がありました。25日に日本の港に着く、26日の正午すぎに宅配。配達の人が、「Vista を持ってきました」といっていた。Dellと言わなかった。何故だろう。Dellの会社を知らないのだろうか。VistaがDellより有名になったのだろうか。
 私のいろいろな注文の部品(ソフト)を1日で生産するのだろう。日本のSCMは資材調達のプロセスのSCMだが、DellのSCMは見込み生産のSCMである。これでは、日本の電気産業が負けるのは理解できる。徹底した『標準化生産』である。日本の「お客様は神様である」は顧客のためになっているのだろうか。『顧客は奴隷』と見てるのではないか。
 蛇足だが、私の初歩的なミスで、問い合わせた。チャットで指導してくれたのは驚きであった。物の輸送の話は、現地の中国人が対応。技術サービスは、日本人の女性の技術に詳しい技術者が対応しているようだ。宮崎県にもコールセンターがあると聞いたが、大切な役割を果たしているのだろう。
顧客が勉強すればするほど、対応してくるのが欧米の文化である。日本の製造業は、SCMの本質を勉強した方が良いように思う。大学の先生は特に。学生が可哀想だ。

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